NASAの火星周回機16年分の電波追跡データを再解析した研究が、太陽との季節的潮汐に対する火星の重力応答から、マントル深部に南北で最大400℃規模の熱異常が今も存在することを示した。北半球低地の地下は硬く冷たく、南半球高地の地下は相対的に熱い──地表の「地殻二分性」が星球内部の非対称まで貫いているという描像が、潮汐トモグラフィーという新しい手法で裏付けられた。
火星は地表で明確な南北の非対称を持つ。北半球は低く平坦な平原が広がり、南半球は標高が高く、クレーターに密集した高地が占める。この「地殻二分性」は火星最古の地質学的謎の一つだが、その起源が巨大衝突なのかマントル対流なのかは、 decades にわたって決着がついていない。2026年8月26日に学術誌Natureへ掲載された研究は、この論争に新しい手がかりを与えた。地表ではなく、星球の「内部」に残る非対称を直接検出したからである(出典: Nature)。
16年分の周回機データから「内部のゆがみ」を読む
研究チームが用いたのは、火星全球探査機(MGS)、オデッセイ(ODY)、火星偵察軌道機(MRO)という3機の周回機が送り続けたXバンド電波のドップラー追跡データだ。合計16年分。電波のずれから周回機の軌道の微細な揺らぎを復元し、そこから火星重力場の時間変化を引き出す。追跡を支えたのはNASAのディープ・スペース・ネットワーク(DSN)である(出典: NASA DSN)。
鍵となるのは、太陽との潮汐相互作用だ。火星の一年(687地球日)の周期で加わる潮汐力に対し、球対称な星球なら次数2の重力応答しか生じない。ところが実際のデータでは、本来ほぼゼロのはずの次数3の季節変動成分が、球対称モデルの予測から最大約300%も逸脱していた(有意性は99.99%超、と報告されている)。次数2の潮汐が星球内部の南北非対称構造と「結合」して初めて生じるシグナルであり、つまり火星のマントルには今も強い水平方向の不均質構造がある、というわけだ。
マントルの剛性差、南半球の地下は「熱い」
研究チームはこのシグナルをベイズ推定(MCMC法)で逆問題解析し、マントル(深さ50〜1,560 km)のせん断弾性率に半球スケールの変動を復元した。ピーク間振幅は南北方向で60±40%、全体で81±60%と、統計的に有意な「硬さの差」として現れた。かたや地殻(深さ0〜50 km)には有意な水平構造は検出されず、深部マントル特有のシグナルと考えられる。
硬さの差の原因は何か。同じ圧力条件下で岩石の剛性は温度と組成に依存するが、地震波的な短い時間スケールでは1000 K超の温度差が必要となり、非現実的だ。ところが火星の一年という長い周期に引き伸ばすと、カンラン石の実効せん断弾性率は温度に対して約15〜20倍敏感になる。研究チームの計算では、検出された剛性変動の大部分は、現在の火星マントルにおける約200〜400℃の半球規模温度異常で説明できる。重心と図心のずれ(COM–COFオフセット)の観測値から、組成差だけでは説明しきれないことも示された。
地表の地形と地下の温度異常が重なる意味
復元された熱・剛性異常の空間パターンは、地表の地殻二分性と広く一致する。北半球低地ヴァスティタス・ボレアリスの地下(北緯45度・西経138度付近)には剛性の高い(=冷たい)領域、南半球高地のヘラス盆地付近(南緯45度・東経42度)には剛性の低い(=熱い)領域が対応し、剛性変動のゼロ等値線は二分性の境界に沿って走る。
この描像は一つの仮説と整合的だ。南半球の厚い地殻が断熱材として働き、深部の放射発熱を閉じ込えることで、マントルに200℃超の南北温差を生む──以前の熱モデリング研究が予測していたメカニズムである。つまり厚い地殻という「昔の傷」が、40数億年経った今も内部の温度構造を規定し続けている可能性がある。一方、火山地域タルシスの直下には有意な異常が見られず、タルシス形成に関わる現在の内部構造は浅い、あるいは小規模にとどまると解釈された。
検証は続く──有望な手法と残る不確実性
潮汐トモグラフィーは、静的重力場では感度の浅い側に偏る深部構造を、時間変動重力から直接探れる点が新しい。ただし復元される剛性変動はマントル全層の平均であり、深さ方向の局在(リソスフェア基底やコア・マントル境界近傍の構造)はこのデータだけでは切り分けられない、と著者ら自身が限界を明記している。係数の不確実性を保守化するため15倍のインフレーションを行うなど、誤差評価には慎重な処理がされている。
火星探査はこれまでセイモメーターによる地震波トモグラフィー(InSightなど)で内部を探ってきた。潮汐トモグラフィーはその補完手段として、長周期変形に敏感という独立の窓を開いた。宇宙探査の主力データが「画像」から「重力・変形の微細シグナル」へと広がる中、この手法が他の惑星にも適用される日は近いだろう。
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